猫の好物、エノコロ草も枯れて秋の気配
卵を少ししか産まなくなった鶏を肉にしますよとお知らせがあってから数日のち、胸、腿、ササミ、手羽と、1羽まるごと解体された鶏さんが、ガラのなかにきれいに収まり、野菜とともに届く。臭みもなく、日持ちしてくれる野の扉の鶏肉はずぼらな料理人にとってはありがたい。
手羽や皮の部分を少し放り込んだだけで濃厚なだしがとれるし、ガラは長ネギの先っぽや玉ネギの皮を放り込みコトコトとだしをとっておく。このだしで大豆やインゲン豆なんか煮こんだら、豆の旨味と渾然一体のおいしさに。ついつい箸がすすみます。
ふだんは食品スーパーに寄っても、肉の売り場はいつも素通り。私の子ども時代は、最近流行りの“地産地消”はあたりまえ、 新鮮、安い、おいしい野菜と魚で育った世代なので、時々、飼い猫と魚を分け合う暮らしで、肉料理のおいしさもわかるけど、肉に執着なく、肉料理があまり身につかなかったなあ。
昭和30年代半ば、両親とも共稼ぎしてもわが家の毎月の暮らしはやりくりがたいへんだったようで、母が買い物に行くのにくっついて行っていたから、月末に通い帳にたまった金額が全額払えなくて、繰り越してもらっていた。
そのうち親類の農家が当時はまだ珍しかった孵卵器でかえしていた雛鳥を30羽ほど譲ってもらい、借家の裏庭に金網で鶏小屋を建てて飼い始めた。鶏が待望の卵を産むようになると、いつも行く八百屋さんが時々買いに来たりしていた。少しはわが家の経済も潤ったのだったろうか。子どもだった私はそうしたことにはまったく頓着なく、ほとんど毎日遊び呆けていたけれど、当時、八百屋では卵1個25円くらいで売られていたと記憶している。
たまに、その親類の農家に鶏を絞めてもらっていた。お腹のなかに入っていた卵の黄身みたいなのが(卵になる手前なのね)ずらずつながっているのを何度か目にして、鶏ってすごいなあと、いのちの神秘に息をのむ思いだった。それでも当時のわが家の食卓がご飯と味噌汁、おかずは野菜ときどき魚だったのは間違いない。
一人暮らしをするようになってから、これまでに鶏、豚、牛、ラムなどひと通りの肉料理はたまに自分でも作り、外食もしたけれど、水っぽかったり、臭いが気になったりで、売り場からはすっかり足が遠のいてしまった。
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